2008年 07月 07日
いすと |
最近大人になったと思うのは、きちんと部屋を片付けることや、料理を作り終えるころに使った道具も洗い終えているというのが出来るようになってきたことなんかなのだけど、
道を覚えられるようになったというのも大人になったことのひとつで、これはこの数年でびっくりするくらい道をよく知っているようになった、もちろん「僕にしては」という前置きはいるけれど。
道を知っているということは、たいへんうれしく便利なことでありながら、反面さみしいことでもある。知らない道を知らないふうに、ただなんとなくこっち、こっちとぐいぐい進んでいくことができなくなってしまう。ここをこう曲がってみたらどうなるかな?というわくわくや不安がなくなってしまう。
知らない道がないなんて、さみしいことだ。
知らない道が突然知ってる道にうまく出て、驚くことがないなんて。
うん、さっき便利なんて書いたけど、全然便利じゃない、うそだうそ。つまんないことだ。
驚きというのは、こうして消費されていってしまう。一度驚いたことでは、一度驚いた道では、二回目はもう驚かない。人生にはあらかじめ「驚き」の総量が決まっていて、梱包材のプチプチをひとつひとつつぶしてくみたいに、ひとつ驚いたらひとつプチッ、端からひとつひとつつぶして、そのうちに「驚き」はなくなっちゃうんじゃないか。
経験をひとつ積むたびに、驚きはひとつ減ってしまう。慣れてしまう。つまらないものになってしまう?
だったら経験ってなに、ものごとをつまらなくしているということ?
なんだなんだ。なんなんだ。がやがやがや。
大人。成長。経験値。
いったいなんなんだ。
僕がまだ驚いてない(経験してない)ものごとが、これから先の人生にまだまだとんでもなくたくさん用意されてるんでないと、そう信じてみないと、プチプチ全部つぶしきっちゃうのが怖くて、なにか新しい体験をするのがもったいなく感じることがあるのよ。
by amadatasuku
| 2008-07-07 23:59