2011年 10月 25日
見えないあいだ消えてなくなるのではなく |
自分が外出したあとの、
家のなかの様子を想像することがあります。
自分が居ないあいだも、
部屋の花瓶はテーブルの上にあって、
目覚まし時計ならばベッドの横にあり続けます(きっと)。
自分の目に見えない場所は、見えないあいだ消えてなくなるのではなく、
誰にも見られていなくても、そこ、はそのままありつづける、
それがなんだか不思議でもあり、
ちょっと思い直せば当たり前のことでもあり。
僕が電気を消して鍵をかけて外出した、誰もいない部屋では、
車の音や、学校からの帰り道にはしゃぐ子供たちの声なんかが、ドアの外から漏れ聴こえていて、
カーテンの隙間からは少しだけ、光が入ってきていたりするんでしょう。
あとはなんにも起こらない。
なんにも起こらないのに、誰にも見えてはいないのに、ようするに、誰もいないあいだだけなくなっていても何も問題はないのに、
部屋は、けなげにずっと(きっと)そこにあります。
誰にも見られていないのにきちんとある部屋の様子を、
煙のように僕はそこにそっとたちのぼり、ものたちに気付かれずに眺めてみたいな、と思うんです。
何も起こらない薄暗い部屋に、遠くから子供たちの遊ぶ声が聴こえてきても、
鍋も目覚まし時計もハブラシも、僕が居なくなる前にあった場所にそのまま律儀に、ある様子を。
目覚ましの
後ろ姿の たたずまい
気球を見上げる 公園の声
by amadatasuku
| 2011-10-25 04:37