2009年 05月 25日
なにしようかな |
いっつもほおづえをついてばかりです。
今日はパソコンでアニメを見ながらほおづえをついていたら、寝ちがえたみたいになりました。
30分という短時間で、というよりも、寝てもないのに、というところが釈然としませんでした。
寝ときゃよかった。
アニメは普段は見ないのだけど、普段見ないから見よかなと思って見たのは、戦国時代のなんとかかんとかで、なんというか、ごー、って感じの内容でした。
アニメといえば、原作の漫画があったりするときには漫画で思い描いてた声と違うのがいやで、僕は例えばワンピースのアニメ版をどうにか見ないように気を付けて過ごしていたりするのですが、今日はその戦国なんとかに出てきた武田信玄の声が強烈すぎて、その後例えば内田樹さんやなんかのむずかしい系のブログとかを読むと全部あたまのなかでは武田信玄がしゃべっている設定で聞こえてしまい、困った感じでした。
アニメと違って、漫画のいいところは、情報が欠落しているところだと思っています。テレビや映画は視覚と聴覚で見聞きするのに対して、漫画は聴覚で入ってくるべき情報が欠落していて、欠落した部分は読んでる人がおぎないます。自分に一番フィットする声を思い浮かべるから、かならずベストな声が聞こえてきます。想像力は簡単に広がるから、限定して与えられた音声よりも良いものを、お客さんがあたまの中で勝手に作ってくれる、という仕組み。だと僕は思います。
写真なんて、聴覚はおろか、ときには時制までも失ってしまえるから、素敵なのよね。想像や解釈でおぎなえる「のりしろ」が大きい、ということ。
だからテレビよりもラジオが好き。動画コンテンツよりも音声コンテンツのほうが好き。情報は少ないほうがおもしろい。
作っていて楽しいのも、情報が少ないもの。ここ数年、写真の仕事のかたわら、ほそぼそとラジオやpodcastのディレクターをしているのだけど、やっぱり何度かやってみた動画番組のディレクションよりも、音声番組のほうが面白い。こないだ紹介した、小山田君とお仕事できた件も実は自分がディレクションした番組絡みで、その日は小山田君がゲストに来て人生ゲームをやる、という企画でした。
不況をモチーフにした辛口の人生ゲームをやってもらいながら、結果的には、不況に対して難しい顔してるよりも、笑ってしまおう、というような内容。別に楽観的になれば経済が良くなる訳ではまったくないと思うけど、しんみりするためにメディアが使われてばっかりだから、少しくらいは「別にいいじゃん」て言いたいためにメディアを使ってもいいんじゃないかなと思いました。
番組はここで聴けます。(クリックするとiTunesが立ち上がります)番組の最初と最後には毎回僕もしゃべっているので興味のある人はどうぞ。
不況とかそんな大きなことじゃなくても、何か問題が起こってそれを回避できそうにないとき、やばいやばいと言ってる人よりも、それをどう楽しく乗り越えるかって考えてる人のほうが断然好き。あげ足とったり茶化したりするのも楽しいけど、それ以外で楽しめる方法は必ずあると思う。僕はもう大人みたいだから、あげ足とりや茶化し以外の方法で自分を守るすべを見つけなきゃいけないよなと最近思っています。話を写真の作品作りに置き換えると、写真ていう世界の閉塞感とか、排他的な感じとか、「これは良くてあれは良くない」みたいにありもしない正解を追い求める感じとか、そういうのが嫌いで、まじめな写真作品作ってる人にはばかにされそうなものを展示したり掲載したりするのが楽しくて今までやってきたけども、それじゃまだ茶化してるだけだから、じゃあ、今の自分の作品のムードを表面的には残しながら、芯のとこでもっと何をしてやろっかなあ、っていうことを、さっきと逆の手でほおづえをついて(反対側に寝ちがえ直すため)、うんうん考えては、にやにや企んでいます。
今日はパソコンでアニメを見ながらほおづえをついていたら、寝ちがえたみたいになりました。
30分という短時間で、というよりも、寝てもないのに、というところが釈然としませんでした。
寝ときゃよかった。
アニメは普段は見ないのだけど、普段見ないから見よかなと思って見たのは、戦国時代のなんとかかんとかで、なんというか、ごー、って感じの内容でした。
アニメといえば、原作の漫画があったりするときには漫画で思い描いてた声と違うのがいやで、僕は例えばワンピースのアニメ版をどうにか見ないように気を付けて過ごしていたりするのですが、今日はその戦国なんとかに出てきた武田信玄の声が強烈すぎて、その後例えば内田樹さんやなんかのむずかしい系のブログとかを読むと全部あたまのなかでは武田信玄がしゃべっている設定で聞こえてしまい、困った感じでした。
アニメと違って、漫画のいいところは、情報が欠落しているところだと思っています。テレビや映画は視覚と聴覚で見聞きするのに対して、漫画は聴覚で入ってくるべき情報が欠落していて、欠落した部分は読んでる人がおぎないます。自分に一番フィットする声を思い浮かべるから、かならずベストな声が聞こえてきます。想像力は簡単に広がるから、限定して与えられた音声よりも良いものを、お客さんがあたまの中で勝手に作ってくれる、という仕組み。だと僕は思います。
写真なんて、聴覚はおろか、ときには時制までも失ってしまえるから、素敵なのよね。想像や解釈でおぎなえる「のりしろ」が大きい、ということ。
だからテレビよりもラジオが好き。動画コンテンツよりも音声コンテンツのほうが好き。情報は少ないほうがおもしろい。
作っていて楽しいのも、情報が少ないもの。ここ数年、写真の仕事のかたわら、ほそぼそとラジオやpodcastのディレクターをしているのだけど、やっぱり何度かやってみた動画番組のディレクションよりも、音声番組のほうが面白い。こないだ紹介した、小山田君とお仕事できた件も実は自分がディレクションした番組絡みで、その日は小山田君がゲストに来て人生ゲームをやる、という企画でした。
不況をモチーフにした辛口の人生ゲームをやってもらいながら、結果的には、不況に対して難しい顔してるよりも、笑ってしまおう、というような内容。別に楽観的になれば経済が良くなる訳ではまったくないと思うけど、しんみりするためにメディアが使われてばっかりだから、少しくらいは「別にいいじゃん」て言いたいためにメディアを使ってもいいんじゃないかなと思いました。
番組はここで聴けます。(クリックするとiTunesが立ち上がります)番組の最初と最後には毎回僕もしゃべっているので興味のある人はどうぞ。
不況とかそんな大きなことじゃなくても、何か問題が起こってそれを回避できそうにないとき、やばいやばいと言ってる人よりも、それをどう楽しく乗り越えるかって考えてる人のほうが断然好き。あげ足とったり茶化したりするのも楽しいけど、それ以外で楽しめる方法は必ずあると思う。僕はもう大人みたいだから、あげ足とりや茶化し以外の方法で自分を守るすべを見つけなきゃいけないよなと最近思っています。話を写真の作品作りに置き換えると、写真ていう世界の閉塞感とか、排他的な感じとか、「これは良くてあれは良くない」みたいにありもしない正解を追い求める感じとか、そういうのが嫌いで、まじめな写真作品作ってる人にはばかにされそうなものを展示したり掲載したりするのが楽しくて今までやってきたけども、それじゃまだ茶化してるだけだから、じゃあ、今の自分の作品のムードを表面的には残しながら、芯のとこでもっと何をしてやろっかなあ、っていうことを、さっきと逆の手でほおづえをついて(反対側に寝ちがえ直すため)、うんうん考えては、にやにや企んでいます。
by amadatasuku
| 2009-05-25 01:14