2020年 01月 16日
深夜0時 |
日付が変わり、しかし人はなんとも思わない。(今日という感覚は、寝て朝起きるまで続く)
それでもたまに、たとえばひとつの街にひとりくらい、ちょうど日付が変わるときに秒針を眺めてた人もいるんだろうなと思う。
草木眠る
なんでもないはずの
真夜中
なぜこの時が
「0」だというの
#
by amadatasuku
| 2020-01-16 01:39
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2020年 01月 16日
日付が変わり、しかし人はなんとも思わない。(今日という感覚は、寝て朝起きるまで続く) それでもたまに、たとえばひとつの街にひとりくらい、ちょうど日付が変わるときに秒針を眺めてた人もいるんだろうなと思う。 草木眠る なんでもないはずの 真夜中 なぜこの時が 「0」だというの #
by amadatasuku
| 2020-01-16 01:39
2017年 04月 12日
もはやお茶の間(お茶の間?)でさえ「人工知能はすごい&おそろしいわね」などと語られているのをみると、僕もいよいよ少しずつそわそわしまして、 昔からその手の話は好きだったけどそれはファンタジーという額縁のなかに収められていたからであって、 こうも人工知能がやってくるゾという話が現実の生活と地続きの延長線上に、遠くて近い地平線のあたりに見え隠れしてくると、とたんに真顔になったりしています。 人工知能の台頭というのに対して僕はどちらかというと悲観的というか、 「希望」よりは「恐怖」を、「人間の能力の成長・増強」よりも「人間の社会的価値の低下」を見い出してしまいがちなのですが。 でもね。たとえば、、 ーーーーーーーーーーーーーーーー <人工知能にはできないこと/人間にしかできないことはあるんじゃないか、という話> 人生はあらゆる選択の連続であるなんていうけれど、 人工知能が僕らの普段の生活に馴染んでくると、人はそれを、 日々の取捨選択に際して、もっとも有効な「判断」をしてくれる機能として使うんでしょう。 ひっ算をして一生懸命計算するより、計算機を使って安心するみたいに。 この状況で自分はどうするべきか、まずは人工知能の判断を聞いてみる、というふうに。 それが外部装置のようになるか、あるいは体内に埋め込むのかわからないけど、 たとえばいまは仮に、イメージしやすいように、iPhoneのような端末があってそこに人工知能さんが、すぽんと入っていますとしましょう。 人はとっても、占いが好きですし、 占いの”強烈なやつ"として人工知能が生活のなかに入ってきたところを想像します。 当たるも八卦当らぬも八卦、占いというのは統計学ですから、と言うように、 いにしえから語り継がれた膨大な統計をもって占いが成立しているのなら、 これはそもそもの成り立ちからして人工知能、ディープラーニングの仕組みに近いと言えるでしょう。 転じて、占いは一番手っ取り早く人工知能に取って代わられるものだとも。 そのうえで、じゃあここに、ひとりの男の子(高校生/野球部/丸坊主/優しくていいやつ)がいて、 しかもなんと恋をしているとしましょう。 練習中もぼーっとして、足元にフライがぽとんと落ちたことにも気付かない始末。 これはたいへんだからまずは思いを打ち明けよう、あのこに、ということになります。 最近は高校生でもひとり一台人工知能端末をもってる時代ですから(そういう設定ですから)、 さっそく人工知能に尋ねてみます。 「ねえ、僕はあの子に告白するべき?」 ーーーーーーーーーーーーーーーー ところは変わって。 彼に好かれている「あのこ」。体育館のうらにいます。 髪の毛さらさらの人気者の、別の男子に呼び出されたから。 さらさら男子に、髪の毛をかきあげかきあげ告白されて、「あのこ」はこまってしまいました。 こまったといっても「うれしい」と同義のやつです。 ぴぴぴぴぴ。あのこ、さっそく片手に持った人工知能端末に相談です。 「わたしはこの人と付き合っても良い?」 ーーーーーーーーーーーーーーーー あらゆる判断を人工知能に委ねることに慣れてしまった社会では、 人はなにをもって目の前の人を「好き」と思うだろう。 というのが、この話の大事なポイントです。 あらゆる判断を人工知能に委ねることに慣れてしまった社会では、 はじまりかけの恋愛において、お互いの手元には、 人工知能が導き出した「うまくいく確率」が握られていて、そのつぎにすぐ「結果」がくる。 付き合うべきなら付き合う、付き合わないべきなら付き合わない。 そこにはたとえばかけひきだとか、少しずつ仲良くなってみようとか、そういった「工程」はなくなってしまうのでは。 と、簡単には想像してみるのだけど。 でも、ちがうんじゃないか、というのが今回のお話。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 「あのこ」が持っていた人工知能端末が導き出した答えが 「付き合ってもこの人とはうまくいかない」だったとして。 髪の毛さらさら告白されてうれしく思った「あのこ」は、納得するんだろうか。 むしろ、 人工知能は「違う」と言っているのにそれでもなおこのさらさらヘアーが気になってしまう この気持ち、これを信じたい!っと思うのでは。 人工知能の「判断」を否定して初めて、自分の「ほんとうの気持ち」と認識する仕組みがそこにうまれています。 おっと忘れていたけど野球部の男の子。彼も。 もし彼の人工知能端末が「おまえに勝ち目はねーから、好きでいるべきではない」と判断しても、 そっかじゃあ忘れよう、とは思わない。それでもひっそりと好きでいるだろうし、なんなら思いだけでも伝えたいと思う子かもしれない。けなげでいいやつ。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 「人工知能はこう言うけど、でもやっぱ」と、思いうるあたりの領域に、 "人間にしかできないこと"はありそう。 恋をしてぼーっとしていても、自動でフライをキャッチすることなら人工知能で、 なんとかできそうだと思うけど。 #
by amadatasuku
| 2017-04-12 02:09
2017年 02月 01日
昼。時間があく。 返さなきゃならないメールや、こまごました用事があるけども、 そのちょっとしたやる気を出すのが面倒で、ぼおっとすることにする。 なにを思おうか。 まず目の前にまっ白くて広い空間があるとして。 視界の左の隅っこに、湯気のたちのぼるキッチンを。 反対側の右の隅っこに、食器の並んだテーブルを。 キッチンから出発して、遠いテーブルまで、 「ちびっこがスープをこぼさないように運ぶところ」を想像して過ごす。 集中している目つき、それに相反しておぼつかない手元やひじ。独特なすり足。 なぜ口がとがるのか。 空想の視界の端から一歩ずつ、ちびっこ、ゆっくりゆっくり進む。 でもそうかあ、そんなにか。思ったよりもゆっくりだったな。 うんうん、いいよ、時間はあるし。 ちびっこ、ときどきスープから視線を上げて、目的地までの距離を目で測る。 こぼさないように。ゆれないように。 頬杖で、こちらもじっくり待つことにする。 #
by amadatasuku
| 2017-02-01 03:28
2017年 01月 31日
まことすけくんは昔から、カッパがたいへんに気になる。 見てみたい。でも居たらこわい。 でもほんとは居ないから大丈夫。ってそういってたらほんとは居たりして。 カッパの姿は自分が思ってるまんまだろうか、ちょっとちがうとしたらどこだろか。 つうかカッパは何考えてんだろ、何かを考えてることはたしかだなだってカッパだもの他とはちがうもの。 見てみたい。でも全身みどり。やっぱりこわい。 想像の、ぬめっとした水のなか。 音をたてずに、池のそこの見えないレールをたどるみたいにまっっすぐに。裂くように泳ぐ。 遠い向こう岸に手をついて、ぬるりとこちらを振り返る、カッパ。こわい。 想像のなかでは、頭の皿も、ほかよりすこし濃くなったみどりだった。黄色かと思ってた。 ところで、父さんがなにか言ってる。 「まことすけ、友達の家からの帰りが遅くなった日は、 暗くない、明るい道を通って帰るんだよ」 「はあい。それって、カッパでも?」 「うん、そうだよ、カッパもきっと明るい道を帰るよね。あぶないから」 3年経った。 また父さんがなにか言ってる。 「まことすけ、いやなことをされてやり返すのはかっこよくないんだぞ。 やり返したくなっても、ぐっと我慢できるのが、ほんとうは一番かっこいいんだ」 「それって、カッパでも?」 「そう、たとえカッパの世界でも」 3年経った。 また父さんがなにか言ってる。 「まことすけ、テレビってのは不思議だろう。真っ黒い画面にいろんな色が出る。 テレビのなかには赤と緑と青の光がいっぱい詰まってて、 それが混ざり合って画になるんだ」 「カッパでも?」 「カッパでも」 そう、たとえカッパでも。 三原色に分解されて、でも赤と青の要素はほとんどないから、 結局ほとんど緑色の光だけで像をむすんで、画面に映る。 きっと頭のうえの皿の色まで。 初出演 テレビの中の カッパには いらぬのだ「R」と 「B」の光は #
by amadatasuku
| 2017-01-31 00:45
2017年 01月 30日
深夜3時にコンビニで意味なくシャーペンの芯を買ってみた。 なんかおもしろいかなと思ったけど、意外とふつう。 芯を全部取り出して、束にまとめてひと思いに半分に折るときの、「ブチブチブチ」という感触を想像しながら帰る。 芯の一本一本が折れる音たちの、細かな時間差の集まり。「ブチ」と「ブチ」のあいだにわずかな余白が挟まっている。それがたくさん。 実際には芯は折らない、もったいないから。 あ、と思ってスーパーの、そうめん売り場を思い浮かべる。 そうめんを同じように、ひと思いにふたつに折ったらどんな感じがするだろう。ひと束でなくて、ひと袋。 信号待ちでくしゃみが出る。くしゅん。 夜の横断歩道を上から見るとシマシマがはっきりしてきれいに見える。自分の視点が頭上に浮かんでるところを想像する。 黒と白の横断歩道と、端っこに僕の頭が。くしゅん。くしゃみをする。 視点はもっと上空へ昇る。点々とたくさんの横断歩道、それぞれに信号待ちの男の人がひとりずついる。コンビニ帰りの。 彼らがいっせいに(ひと思いに)くしゃみをする。 ざばん。 上空へ昇るとたくさんの「くしゅん」は束になって「ざばん」に聴こえる。 や、予想だけど、たぶん。 #
by amadatasuku
| 2017-01-30 03:19
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