
石油ストーブがあたたかいのは、
石油をいれて、火をつけると、中がこう、
火がつくので、
それであたたかいのだということはわかりました。
ふとんの中があたたかいのは、
夜、寒い寒いと言いながら、冷たいふとんに入ったのにも関わらず、
朝になるとあたたかくて出たくないのは、
自分のからだの熱でふとんの中があたたまるからなのだそうですよ。
冷たい自分と冷たいふとんだったはずなのが、
朝になるとあたたかい布団であたたまっている自分で、
でも、
そのあたたかい布団は何のせいかというと、
布団であたたまっている自分です。
以上です。
(拍手)
「ありがとうございました。」
司会者は言いました。
「いやはや、たいへん素晴らしい不思議でしたね。
かしげました。実に首をかしげました。
会場に集まったみなさんも、ごらんの様子。
みなさん必死に不思議のなぞを考えておられます。
いやあ、あるものですね。
不思議です。
あらためて、ありがとうございました。
いまいちど大きな拍手を。」
(拍手)
「ではこの不思議、開始価格はおいくらになるでしょう!
ふしぎぃ〜プライス!」
司会の熊が右まえあしを高々と挙げると、
会場の電光掲示板に数字が並び、
それぞれの桁の数がちかちかとランダムに変わっています。
人間の子供たちが思った「不思議」を、熊たちが収集するようになったのは、
いつの頃からだったでしょうか。
我々人間とはちがい、熊たちは、寒い季節になると冬眠をします。
冬になって、すんなりと眠りに入ることができれば何も問題はないのですが、
近年、特に若い熊たちを中心に、寝付きの悪さに悩む熊たちが急増し、熊社会問題になっています。
羊を数えようものならそれを食べたくなっておなかが減ってしまいますし、
眠るには逆効果です。
そんな悩める熊たちの間で今、不思議について考えるのが流行しています。
この方法は、
むずかしいことを考えれば眠くなる、なんだか知的で、且つ、眠れる、
と、大評判です。
そんなわけで熊たちは、
適度に不思議で、勉強ほどむずかしすぎない、人間の子供たちが思っている「不思議」を分けてもらおうと、
冬眠前のこの季節、不思議オークションを森のそこここで、こぞって開催するのです。
昨日までは、そろそろ眠たいなと思っていた健康な司会熊も、
今日ばかりはいきいきとしています。
「出ました!
23どんぐり!
開始価格は23どんぐりです。さあ、はった、はった!」
結局値段は、65どんぐりで落ち着きました。
落札価格65どんぐりのうち、
10どんぐりは運営側の手数料に、
5どんぐりは世界のめぐまれない熊のために寄付され、
のこりの50どんぐりは不思議を提供してくれた人に支払われるので、
子供たちも大満足です。
こうして、熊はねぐらに、
子供は家に、
どんぐりはクッキーの空き缶かなにかに、おのおの収まり、
やがて春が来れば、
熊は冬に買った不思議を、
子供は冬にもらったどんぐりを、
どうせ忘れて、やみくもに走ったりとかして過ごすのです。

「キミ、世の中には、な、
クロワッサンのかたちをしていないクロワッサンだって、
あるんだよ。」
僕は電車に乗っている。
どこへ行くのかは、分からない。
「クロワッサンだ。知ってるだろう。
月みたいな。」
どこへ行くのか分からないし、
隣に座って話しかけてくるおじさんが誰なのかも、
そういえば、分からない。
クロワッサンは知っている。
「まあ、クロワッサンみたいなかたちをしていない月もあるが、な。」
おじさんの話はつまらないし、
ほっぺたをつねってこの夢はおしまいにしようと思った。
「つまりわたしが言いたいのはね、
クロワッサンみたいなかたちをした月みたいなかたちをしていない、クロワッサンもある、
ってことなんだよ。」
そういっておじさんは僕のほっぺたをつねった。
お前がつねるのかよ。
「お前がつねるのかよ。」
は現実の世界の言葉になって、現実のほっぺたをつねられた寝起きの僕が、ハッキリと言っていた。
僕を起こしにきた彼女は半分しか笑ってなかった。
戯れのつもりでほっぺたをつねっただけなのに、
お前がつねるのかよ、じゃ、なんか腑に落ちないのも分かる。
何か言おうと思って口から出た言葉が
「クロワッサン…」
だったので、あきらめて寝ぼけた人となってぼんやりしていた。
「クロワッサンたべたいの?」
と遠くから尋ねられたので、「んー?」と答える。
寝ぼけた人は気楽だから。
気楽な人はゆっくりカーテンをあけるのだ。
まずカーテンにつかまる。ここで一旦止まる。
引きずり落としてしまわないくらいにカーテンに体重をかけておくと、けだるくてそれっぽい。
むむう、とかそのへんの言葉を小さく発してから、
腕を動かすのではなく、一歩一歩からだごと横に移動して、少しずつあける。
歩幅ずつ、眩しくなる。
日曜日。
マンションのベランダの下は、公園になっている。
「うわ、ちびっこがすげー走ってる。」
すげーたくさんのちびっこが走ってるんじゃなくて、
ひとりのちびっこがすげー走ってる。
リレー選手のように、黄色いバトンみたいなものを持っているけど、
バトンには同じく黄色い布がついていて、「横断中」と書いてある。
きみはいま横断していないし、それ持ってきちゃいけない。
ちびっこが手を高く(手が短いから低いけど)挙げると、
「横断中」はとてもきれいにはためいて、
そこまで言うなら、もう横断してるって事でいいや、と思う。
ちびっこはいつまでも走っている。
時間が経っても、目が眩しさに慣れてくれない。
ちびっこの母親はどこにいるんだろう。
ずっと眩しい公園で、ちびっこは疲れを知らないように走りつづける。
「クロワッサンいらないの?」
背後で声がする。
クロワッサン、いるいる。たべる。
寝ぼけた人は朝ごはんをたべて、そろそろ普通の人になる。
振り返りながら「何かがおかしい」と思い、
振り返りきってしまうと、また電車の中だった。
「クロワッサン知らないの?」
知っている。
クロワッサンも知ってるし、この人のことも知っている。
このままどこへ行くのかも、いまではなんとなく分かる。
電車に乗って移動だなんて銀河鉄道の夜みたいだ。
クロワッサンのおじさんは、そのクロワッサンの思い出を持っていくんだね。
じゃあ僕は何を持っていこうか。
さっきの日曜日を引きずり戻す。
窓の外が眩しくて、カーテンを掴んでて。
その前は何をしてたっけ。
外の明るさが、部屋の中の記憶をごまかすみたいに入ってくる。
彼女はたしか、寝ぼけた僕に半分しか笑ってなくて、
そっか、ほっぺたをつねってくれたんだ、僕を起こそうとして。
結局起きれなかったけど、最後にもう一度ぼんやり見えた公園では、
少年はまだ走っていた。
黄色い旗はもう持っていなかった。

<1>
「なるほどですね」といったような、”ですます”を無理矢理くっつけた言葉使いが定着しつつありますが、
それが通用するならば、いくつか、提案したいことがあります。
節分ですね。
「鬼は外!福は内!」と豆を撒きますね。
そこでね、鬼は年上である可能性が高いよなあ、と。
なんかこわいし、目上っぽい。
はたまた、家庭内行事として行なうならば、お父さんが鬼役になることも多いでしょう。
じゃあ、
「鬼は外ですね!」
となってくるのではないかと。
福の場合はどうでしょう。
これはもう完全に目上ですね。地元の後輩が福でさあ、というようなことは考えにくいです。
ですからこの場合は当然、
「福は内ですね!」
となりますね。
や、「なるほどですね!」が本当に今後定着するならですよ。
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<2>
節分ですね。
「鬼は外!福は内!」と豆を撒きますね。
そこでね、我々は気付かないうちにすごい失礼なことをしているんじゃないかなということが、ひとつありますのでお伝えしてみようかなあと。
「鬼は外!」つまり鬼は外へ行け、と。
「福は内!」つまり福はこちらへ来てほしい、と。
鬼は、やなやつですから、なんとでも言えばいいのです。言葉遣いなんて気にすることはありません。なんなら失礼なことをもっとして、嫌われたいくらいです。
しかし福はどうでしょう。
こちらへやって来ようか来まいか、という福を呼びつけて、
「福は内!」はちょっと。ずいぶん偉そうじゃないですか。
それは願いではなく、もはや指示です。
例えば、玄関先にやってきたお客さん(手には、おいしいと噂のケーキ屋さんの箱)に、
「客は内!」と言うでしょうか。
はたしてそれで、おいしいケーキは食べられるでしょうか。
豆を撒くならば、
「鬼は外!福はどうぞこちらへお越しください(手もみ可)」
が正しい姿勢なのではないでしょうか。
知らず知らずのうちに失礼な言動をとっている、ということはあるものです。
気をつけたいものですね。
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