
記念切手のシートから一枚いちまいの切手を切り取る作業は、ずっと繰り返しているとなんだか農業みたいです。
今年採れた新鮮な切手を、収穫している感じなのです。
今年、といえば。村にはちょっとしたニュースがあったのです。
火の見やぐらから東にかぞえて3軒目の、木下さんのうち。
次男坊のとしふみくんが、東京の大学へいくことになったのです。
うらをかえせば、わたしたちの村というのは、
東京へ出て行くりっぱな息子さんの様子が、たちまち村じゅうのお祝いごとになるような、
ちいさくて、なんというか、くしゅくしゅっとした、村なのです。
さて、そんななか木下さんのうちはといえば、
おとうさんはたいそう自慢気にしているし、
おかあさんもまた、たいしたことないよ、と言いながら、まんざらでもない表情をうかべてばかりいます。
でも、ほんとうはこころのなかで、
がんばらなけりゃな。
と思っています。
なにしろわたしたちの村というのは、
おのおののちいさな畑で採れる、わずかばかりの記念切手を農協へおろして、生計をたてています。
そんなに、お金持ちじゃないのです。
それでおとうさんとおかあさんは、
がんばらなけりゃな。
と思っているわけです。
東京で暮らすというのは、とてもお金がかかりますからね。
大学の学費も、それはそれは、たいしたものです。
村では、4月なかごろから発売になる予定の切手『ふるさと 〜わたしたちの原風景〜 その2』の収穫が最盛期をむかえています。
おとうさんとおかあさんは、畑のかたわらにある納屋で、刈り取った切手シートから、一枚いちまい丁寧に、切手をちぎりとっています。
こうして見ていると、なんだか今年のおとうさんとおかあさんの手つきは、いつもよりももうすこし、丁寧なような感じがします。
それもそのはず。こうして採れた切手を売って、そのお金が、東京でがんばるとしふみくんの生活費や学費になるのです。
わたしたちの村というのは、たいへんによく陽の当たる、切手作りにはとても適した土地です。
この村で採れた切手のギザギザは、ほかのどこの切手よりも凛としたギザギザで、
この村で採れた切手の裏の糊は、ほかのどこの切手よりもパリっとしたものです。
今日も太陽のひかりが、あたりの切手畑や、そのなかに点々とある納屋たちの屋根の上に、
きっと夕方までずーっと、ふり注いでいます。
納屋の屋根が落としたかげのすこし内側で、おとうさんとおかあさんは、
一枚ずつ、一枚ずつ、切手を収穫しています。
という、おとうさんかおかあさんになった気持ちで、
切手をちぎっています、僕は。

天狗に話をきくと、オムライスをたべるとき、長い鼻にオムライスのケチャップがついてしまうのだが、なにぶん鼻が赤いから、鼻のあたまにケチャップがついていることに気づかれにくいのだそうです。
僕は西麻布のとあるバーにいて、混み合った店内のいったいどこが「隠れ家」なんだろうと思いながら、彼(天狗)の話を聞いています。
天狗が山から下りてくると僕に連絡を寄越したのは、僕の、天狗について書いたブログがきっかけでした。ちかごろは山の上にもインターネット回線が届いているので、彼は「天狗 ブログ」かなにかで検索したのでしょう、僕のブログに偶然たどり着いたのだそうです。
天狗から僕に届いた唐突なメールには、「君に話したいことがあるんだ」とありました。メールアドレスが、tengu@□□□□.comとかだったら僕もきっとなにかのいたずらだと思ったでしょうけれど、彼のアドレスは、自身の誕生日とおそらく愛犬かなにかの名前を組み合わせた、ありきたりのものでした。天狗らしい”上から目線”で綴られた文面とその、らしくないアドレスのギャップに惹かれて、僕は彼に会ってみることにしたのでした。
彼が待ち合わせ場所に指定したのは、彼が山を下りた際には必ず足を運ぶという「隠れ家風」のバーでした。「なにぶんこちらは君たちとは違い、天狗なものでね。あまり人目にはつきたくないんだ。わかってくれたまえよ。」
僕は一応わかってあげたつもりだったのですが、しかしこうしてバーの中は大盛況、人目もはばからず彼は自分の赤くて長い鼻の話をし、僕は心のなかで首をおおいにかしげながら、彼の話を聞いています。このバーのいったいどこが「隠れ家」なんだろう。
そしてもう一度書きますが、彼が熱心に話しているのは、ずうっとこんなことでした。
オムライスをたべるとき、口を皿の近くへ寄せると、長い鼻がオムライスにあたり、オムライスの上にのったケチャップがついてしまうのだが、なにぶん我々の鼻は赤いから、ケチャップがついていることを周囲の人に気づかれにくいのだ、と。
「たとえばほら、こう、な?」
ジェスチャーを交えて話す天狗の口調はさきほど初めて会ったときと比べると幾分崩れてきていて、ひょっとしたら酔い始めているのかな、とも思いましたが、なにぶん例によって、顔も元々赤いので、酔っているのか判断がつきにくいのです。
「こう、な?オムライスをひとくちぶんスプーンですくうだろう。それを口元まで運んでくる。しかし不思議なもので、待っているはずの口のほうも、自然と少し、スプーンのほうへ、つまりはオムライスが盛ってある器のほうへ迎えにいってしまうんだな。(彼の説明のそぶりはもう、ショットのフォームを教えるセミプロゴルファーみたい)
そのときに、こう、だ(器をあらわした手のひらを鼻のあたまにぶつけてみせて)。こうやって、器のオムライスのてっぺんに、我々天狗の鼻は、ついてしまうというわけだ。」
僕が気になっているのは、何故天狗の鼻にオムライスのケチャップがついてしまうのか、ではありません。
何故天狗はわざわざインターネットで僕に連絡を寄越してまで山を下りて来て、鼻にオムライスのケチャップがつく話をしているのか、そして…
「しかしだな、君たち人間と違って我々天狗の鼻は赤い。だからたとえ我々の鼻にケチャップがついたとしても、周囲の者たちにそれを気付かれる可能性というのは、極めて低いのだ。」
何故、鼻についたケチャップが気付かれにくいということを、こんなにも得意気に話すのか、これが疑問なのです。
かれこれ僕と天狗は1時間以上、薄暗いバーカウンターで横並びに座っているのですが、簡単な自己紹介のあと「それでだな…」と彼が天狗の鼻とケチャップの話を切り出して以来、僕はずっと同じ話を聞いています。
混み合った店内は周りの客の声であふれ、僕の耳に届くようにと大きな声で語る彼の話は、まだしばらく終わりそうもありません。
この天狗は酔っているのでしょうか。それとも、普段からどんな天狗も、こんな調子なのでしょうか。
「なにぶん我々は、鼻が赤いからな。」
こんな調子でどんな天狗も、見ず知らずといってもいい僕らに向かって、鼻についたケチャップがバレにくいということを、人間に対する優越感をもって語るのでしょうか。
僕にはわかりません。他の天狗を知らないから。
他の天狗を知っていれば、この天狗が鼻とケチャップの話をし続けることが異常なのか正常なのか、判断できようものの、僕は他の天狗を知らないから、いつまでたっても、この天狗の正しいあしらい方を、ひいては、僕がいま置かれている状況の込み入り方を、掴みきれずに座っています。
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