
いぬ「羊がたりないのです」
その牧羊犬は、めずらしく我々羊のベッドタウンにまでやってきて、丁寧におじぎをしてそう言った。
わたしは世に言う「学羊(がくよう)」の第一世代といったところで、我々が青春を迎えるころ、牧羊界は激変をとげ、我々羊にも学歴が求められるようになった。
世の変化に従いわたしも勉学にいそしみ、大学を卒業後、この牧場に就職をして日々牧草を食む一介の牧場羊になることができたのだが、しかしこれまでの私の経験において、羊を数えたいのだという人間が本当にいるなどという話を聴いたのは、これが初めてだった。
しかも我々の街の羊が数えられることになろうだなんて。
いぬ「いやわたしもね、子供のころにおぼろげにしか聴いた憶えはないんです」
市役所の職員であるというその牧羊犬は玄関先で続ける。
いぬ「でもこうして、現実に羊を数えようという男の子がいるんです。そして私も、初めて見るマニュアルにしたがって、有志を募りにこうして皆さんの家を回っているわけなんです。私も上から言われたことでしてね、へえ。どうかご協力を」
牧羊犬はここに来るまでにも多くの羊の家をたずね歩いてきたらしく、ネクタイは乱れ、鼻はすでに乾きかけていた。
牧羊犬はぼろぼろの書類のあいだから一枚の写真を取り出し、
いぬ「この子です。もうかれこれ2時間ほど前から羊を数え続けているのですが、一向に眠れないようなんです。それもそうですよね、皆さん、おどってないんですもん。偽物の羊を数えたって無駄ってもんです」
今では夏祭りの日の伝統行事として形骸化した羊おどりは、その昔、人間を眠らせるための神聖な祈りの儀式だったらしい。
幼いころに読み聴きした童話によれば、我々羊は輪になっておどると、人びとの眠る前の一瞬の映像になって、彼らのまぶたの裏に現れることができるということになっていた。それを数えた人びとは、すやすやと眠ってしまう。
羊の朝は早い。かつての古き良き牧場羊たち(つまりわたしの祖父母や曾祖父母たち)にとって、子供たちの起きてこない朝ほど退屈なものはなかった。朝夕に羊を追うのは、牧場のこどもたちの仕事だった。
羊おどりは、翌朝こどもたちが寝坊しないための、大切な儀式だった。
しかしそんなものは祖父や祖母のお決まりのおとぎばなしだとばかり思っていた。それこそ我々が幼いころ、眠る前に聴かされた、子守唄代わりの童話のひとつだった。
今では祖父母の時代からは想像もつかないほど近代的に整えられた街で、ビジネスとして我々は牧草を食み、最終バスに載せられてこのベッドタウンに戻って眠り、また朝がくれば始発に載せられて牧場へ行き、牧草を食む。
いぬ「ご主人、ひょっとしてあなた、疑ってらっしゃいませんか? わたしが野良の犬だとでも。まあ、当然です。夜中にこうして断りもなく現れて、他でもない羊おどりをしてくれだなんて、そりゃあ無茶なお願いかもしれません。でもほらコレね。私の血統書ですよ。ま、コピーですけど。ここにこうしてほら、私の両親の名前や出生地まで書いてあるでしょう。だからどうか、信じていただけませんか?」
そういうことではないのだ。なにもわたしはこの牧羊犬の出生や育ちの良さを疑っているわけではない。私はこれでも、誇り高き「学羊」だ。たとえ礼儀正しい牧羊犬が突然ドアをノックして、血統書をちらつかせながら熱弁をふるったとしても、大の大人が祭りでもないのに、真夜中に羊おどりだなんて。
わたしは丁重に断わり、玄関のドアに手をかけると、ほんの一瞬だけ息をのんだ。閉めかけたドアの向こうで、あきらめておじぎをする牧羊犬の背後に、夜をまるく大きくくりぬいた月が、ぴたり、と浮かんでいた。
月を大きく背負うようにしておじぎをする犬の後ろで、私に本当の気持ちを問うように、その月はただ丸く丸く浮かんでいた。犬はまるで、月の逆光にのみこまれるように見えた。
ドアを閉めた玄関の中はずいぶんと暗く、覗き穴を通して外を見ると、まだ逆光のなかで犬は、肩を落として血統書をきれいにたたみ直していた。それを丁寧にカバンにしまうと、次の家に向かうべく、月のほうへ振り返り、歩いて視界から消えた。
居間に戻りながらわたしは思う。きっとわたしはまたドアを開き、街の中心に集う他の学羊たちに混じり、羊おどりを踊るだろう。空には大きな月。それを真似るようにおおきな円を描いてやぐらを囲み、踊り続けるのだろう。どうせただ生真面目に草を食むだけの日々だ。時には誰かの眠りを心から祈るのもいいだろう。
という夢を見たい。
おやすみー。

訳あって整形外科で自分の腰の骨のレントゲン写真を眺めてたら、おばちゃん(先生)がためいきまじりに言ってくる。
「はぁ〜(←ほら、ためいき)、いい骨ねぇ〜」
いいほね。
ありがとう、と言うべきなのかな、どうなのかなと思ってとまどっているうちに、次は首の骨のレントゲン写真が出てきて、おばちゃん、
「はぁ〜、あなた、ほんとにいい骨ねぇ〜」
いいほね?
つづけざまにこう言うの。
「あなた、頭がいいのよ。だからこうなのよ」
どうなのよ。頭がいいと骨がどうなのよ。
まんざらでもない気分でアッケにとられていたら、おばちゃんは、もうひとりのおばちゃん(看護婦さん)と協力して、僕の腰にコルセットを巻き始めた。
巻き終えると今度は、首に巻く例のいかにもけが人っぽいやつがでてきたので、えー、首はやだと思っていたら、顔に出てしまったのか、おばちゃん、
「首はね、する必要ないと思うけど、こういう機会でもないとこんなの貰えないんだから、持っていきなさい」
ええと、おみやげ的なことらしい。
おばちゃん(あくまでも先生)は、帰りに袋いっぱいのシップも持たせてくれました。(ぜんぶタダだった)
荷物がおもたいので一旦家にかえりました。
おもてなしにはいろんな種類があるのね。
いいほねでよかったと思います。
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