封筒とカレー

にちようび。日がな、ごろごろする。
人は、ごろごろするときには決してどこか目的地へ向かってごろごろ移動するのではなく、部屋のそこここで(テレビのあたりでごろごろしたり、今度は本棚のほうでごろごろしたりして、)ごろごろ転がりながらも、だいたい同じ位置にとどまっている。
しかしごろごろしている頭の中は、案外アクティブなもので、あ、ツタヤ行こうかなとか、お昼は是非あそこの定食屋さんで…とか思う。実現こそしないけれども。
実現しないのは、ツタヤに行きたくないからではなくてごろごろが終わらないからで、
つまりごろごろをやめずにツタヤに行ってしまえばいいのだ。
このままごろごろと転がって部屋を出て、めんどくさいからカギはかけないけど、階段を転がりおちて道に出て、あの角をまがってああしてこうして、ツタヤ前で待機、うまく他のお客さんが自動ドアを開けてくれるのを見計らってツタヤに入店、旧作のコーナーは通路がせまくて転がれないから、広い新作コーナーでチョイス、一泊にして明日また転がって来ればいい、いや、明日にはシャンとしていたい、明日とは言わず、晩ごはんまでにはどうにかアクティブな感じに、あそこの定食屋さんで、ごろごろ、ごろごろ、どうせツタヤも定食屋さんも行かないし。
ごろごろは終わらないのだ。
部屋のあちこちに散らばってる本を手当たり次第に読むのだ。
あっちの本棚からこっちの本棚へ、ごろごろ移動するのだ。
このごろごろには意味があるのだ。
とかそんなこと言ってちゃだめなのだ。
by amadatasuku | 2009-07-05 23:59 | Trackback

